2019年アイドルマスターの文脈で好きだったものの話

皆さん、こんばんわ。
水嶋咲のトレンチことkatariyaです。

 

この記事は、THE IDOLM@STERファン非公式SNSである、

im@stodon.net im@stodon(蒼) twista(シャニ鯖)

の住人が、「2019年の振り返り」と「アイマス語り・アイマスネタ」でブログを12月1日から 25日まで 一人一記事ずつリレーしていくアドベントカレンダーです。

adventar.org

 

昨日はフェンリルさんの『2019年プロデュース活動の振り返り』でした

fenrirlaboratory.hatenablog.com

ミリオン6th仙台は神でしたね……Cleasky……

 

さて、そんなこんなで今回のブログのテーマは
『今これが熱い!2019アイマスの中でぶっこまれた文脈』です!

◆はじめに:『文脈って何?』

そもそも文脈ってなんだ?というお話なんですが、

この世の中には物語の類型というものが存在します。例えば『勧善懲悪』なんていうものがありますね。ヒーローが悪を倒す!って構図の物語です。
またキャラクターの造形、それぞれの配置や構成においても、ある種のパターンみたいなものが存在します。単純なものだとヒーローと悪役とか、もう少し入り組んだところで言うと、「生き別れの兄妹」とか「幼馴染と転校生の対立」なんてのもあります

 

オタクコンテンツの中ではそういった物語の類型が結構まとめられていて、人によって死んでしまうほど好きすぎる物語類型やキャラクターの造形、関係性が存在します。

『エルフの村を焼きたい』とか『アイドルの友人で前まで普通に話しかけられていたのに急に遠い存在に感じるようになってしまった友人』などもそうです。

 

ここでいう「文脈」とは、これらの物語類型やキャラ造形、関係性の中で

『巨大な感情を誘発して人の情緒を乱すもの』

と定義しています

 

今回はそんな「文脈」の中でアイドルマスター関連で2019年来ていた文脈で好きだったものがあります。それが『天才と凡人』の文脈です


※なお、上記の内容故に多少コミュの中身等に触れてネタバレとなる部分も存在しますのであらかじめ御了承ください

 

◆天才と凡人

皆さん「天才」と「凡人」って好きですか?

自分は西尾維新という「天才を書くのが大好き」な人のものを読んでた人間なので大好きなのですが、特に好きなのは「天才」と「凡人」の対比としての関係性です。

物語における「天才」と「凡人」というのはいわば断絶とそれを乗り越えるところにうまみが詰まっていて、「天才」の隣に「凡人」が歩けるようになるかというのが重要なテーマだったりします。

今年のアイマスはこの天才と凡人のお話がぽんぽこ投げ込まれていて非常においしい年でもありました。

 

まず、今年出来たアイマス内ユニットの中で鮮烈なデビューを飾ったのはアイドルマスターシャイニーカラーズの「ストレイライト」でしょう。
「ストレイライト」の画像検索結果"

shinycolors.idolmaster.jp

ストレイライトは芹沢あさひ、黛冬優子、和泉愛依の三人で構成されているユニットで今年からシャイニーカラーズの方に追加されました。

このユニット内での「天才」というのは芹沢あさひになります。

そして「凡人」は黛冬優子になります。

めちゃくちゃ主語をでかくすると、大体のオタクがなんらかのジャンルで天才や恵まれた人間に対しての凡人の悲哀や羨望というもの見たことがあると思います。

アイマスでも過去にアニマスとかでの天海春香星井美希の関係性とかでそれを描いたりしているのですが(あれは正確には「天才と凡人の立ち位置の逆転」も描いてたりしますが)ストレイライトはそれを150キロのストレートで真ん中をぶち抜いてきたユニットです。


特にその関係性が出ているのがストレイライト初のイベントとなった「Straylight.run()」と「ストレイライト感謝祭」コミュとなります。
特に「Straylight.run()」は黛冬優子が保つ仮面をユニット内ではぐためのコミュであり、天才というものに立ち向かう時、凡人が出来ることはただまっすぐに泥臭くてもカッコ悪くても立ち向かい自分を貫くことであることを示しています。

f:id:katariya0116:20191208001631p:plain

f:id:katariya0116:20191208001709p:plain

このやり取りが狂おしいほど好き

黛冬優子にとってその仮面は「見せたい自分」であり「夢」でもあります。アイマスにおいて「夢」というのは何よりも尊重されるものなんですが、「隣にいる巨大な才能」でそれを一度「否定」したこと、その上で、「だとしてもこれが私の目指す道」なんだと天才に認めさせる流れは本当に見事でした。

f:id:katariya0116:20191208001326p:plain

f:id:katariya0116:20191208001343p:plain


黛冬優子の夢を芹沢あさひは無自覚に破壊していくでしょうが、それでも黛冬優子がそれに対して「凡人」として抗い続けるさまは注目していきたいところですね。

(このユニット、じゃあ「和泉愛依」の立ち位置ってどこなんだろう?って思うんですけど、そのあたり多分SideMの2016年のイベントの「出陣!315戦国映画村」で描かれた虎牙道の円城寺道流の立ち位置にヒントがあるのでは?というのがあるので気になる人はそちらもチェックしてみてください!!モバゲーの方のSideMイベントアルバムで確認できます)

h_event.png

 

シンデレラでも「天才」と「凡人」の文脈で大きな流れがありました

先日行われた「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 7thLIVE TOUR Special 3chord♪」ナゴヤドーム公演でも披露されました一ノ瀬志希と二宮飛鳥の
Dimension-3の「バベル」のコミュです。

「バベル Dimension-3」の画像検索結果"

 

このコミュは「天才」である一ノ瀬志希と「凡人」である二宮飛鳥がユニットを組む意味に関してのコミュであります。

「天才」というものは常識の目線で見た時ひどく冷酷で行動理由のわからないものでもあります。それは興味があるものとないものに関しての対比という点においてひどく境界線があるためです

f:id:katariya0116:20191207233146p:plain

であるが故に、最初凡人である二宮飛鳥に対して一ノ瀬志希は「対等になれないのであれば、興味が持てる対象にならなければユニットを組まない」と宣言するわけです


二宮飛鳥というアイドルは「中二病」であるが故に、天才と呼ばれる人種にどこまでも憧れを抱いています。しかし同時に自分がどうしようもなく「凡人」であることに自覚的です。

f:id:katariya0116:20191207232909p:plain

だがしかし、彼女が一点においてアイドルたり得るのはその「あきらめない心」になるわけです。「お前に挑み続けてやる」と宣言するわけです

f:id:katariya0116:20191207233009p:plain

 

(この辺りの自覚とその反骨芯の方向性、蘭子と飛鳥、ウサミンとしゅがはの対比でみるとシンデレラの時間経過がわかって面白いです)

このコミュに限らず、「天才と凡人」重要なのは「凡人があきらめずに立ち向かい続けること」なんですけど、それはなんでかというと「天才の孤独や退屈を晴らす」側面もあるからです

天才が生きる理由というのは「自分がわからないもの・謎を追い求めている」というのが基本的な造形のひとつなんですけど、それは逆説的に「興味や謎がなくなれば生きている理由がなくなる」ということなんです。また、天才というのは「勝てない」「理解できない」と「諦められる」ことにより周りから人がいなくなっていきます。

故に「凡人」である側が重要なのは、「理解できなくても、勝てないかもしれないとわかっていても、何度でも挑み続ける」ことがその天才の無聊と理解されない絶望をいやすことにつながるんですよね。

それはアイデンティティの否定を常に受け続ける行為でもあるので、苦痛を伴うのですがそれをやり続けられるのが「アイドル」として「天才」の隣に立つ素養なのかもしれません。

music.apple.com

ちなみに余談ですがバベルのコミュを見る時に以下の順番でコミュを見ると結構おすすめです

 

速水奏ソロコミュ
・「つぼみ」イベントコミュ

一ノ瀬志希ソロコミュ

・二宮飛鳥ソロコミュ
・「クレイジークレイジー」コミュ

・「バベル」コミュ

 

さらにシンデレラは「天才と凡人」をコミカライズでもやろうとしています。
先日声優も発表されました的場梨沙のお当番回であります「アイドルマスターシンデレラガールズU149」の先読み分となります。
先読みなんで詳しいことは言えないのですが、完全にこの文脈のせてくる気満々なのでぜひ皆さん見てください

cycomi.com

 

◆終わりに

いやー、でもこの「天才」と「凡人」って、昔のアイマスのゲームシステムだとなかなか公式側で描きづらい箇所だったんですよね。

何故かというと「天才」と「凡人」という2人必要で、かつ、対等な立場にいる必要があるため、「ユニット」というものがなければ描きようがないテーマだったんです。

15周年を迎えたこの時期に「ユニット」というものがある程度なじんできて、それを背景に描ける素地が出来たのは非常に良いことだなあと思います。

これ以外にも今年のアイドルマスターは新規開拓し始めた文脈が多く存在しています。

具体的にいうと「アイドルの家族」「友人」「モブ概念」などです

アイドルマスターも今年で15周年。
次の5年に向けての変化がかなりあるように感じられた一年でした。

さて、明日はさみどりさんで「北川真尋さんのお話」だそうです。

北川真尋は天才と凡人どっち側なんでしょうかね。

 

それでは皆さんもよき文脈ライフをお過ごしください。

 ではでは~。