ブルーベリータルトを選んだあなたへ~シャニマス「【ドゥワッチャラブ!】桑山千雪」感想
皆さんこんばんわ。
水嶋咲のトレンチことkatariyaです。
さて今回はアイドルマスターシャイニーカラーズで行われておりました「薄桃色にこんがらがって」の報酬カード「【ドゥワッチャラブ!】桑山千雪」のコミュ感想記事となります。
こちらもイベント本編に負けず劣らずヤバいコミュでしたので思わず筆をとりました。
よろしければ本編の感想記事も書きましたのでそちらもお読みいただければ幸いです。
※注意
今回の主旨の関係上、コミュやカードの内容に踏み込んだものとなります。
そのためネタバレとなる内容も含みますため、問題ない方は以下をご覧ください。
◆はじめに
まず最初に今回のカードタイトルである「ドゥワッチャラブ!」とは何のことなのか?こちらのタイトルには実は元ネタと思しきものが存在します。
前回の記事でも書きましたが今回「薄桃色にこんがらがって」内で出てきた「アプリコット」という雑誌には「Olive」という雑誌があります
cookbooks.jp
その雑誌内で初期に連載されていたエッセイがあります。
その名前が「DOOWUTCHALiKE」(ドゥワッチャライク)です。
「DOOWUTCHALiKE」は1994年から1997年の間連載されていた歌手の小沢健二のエッセイです。
渋谷系の王子様と言われた小沢健二の、映画や音楽、何気ない日常をおしゃれでユーモアにあふれた筆致で描く内容は当時の「オリーブ少女」たちを虜にして、「オリーブ」の代表的なコンテンツのひとつでした。
ちなみに意味は「お気に召すまま」(Do what you like)という意味です。
では、なぜ今回のこのサポートカードに対してこのタイトルが付けられたのでしょう?
それは今回のイベントカードのコミュが「薄桃色にこんがらがって」から地続きであり、オーディションで選ばれなかった桑山千雪の物語だからというのがひとつ。
もう一つは「桑山千雪の愛したものはなんであったのか?」という主題のためです。
それではひとつずつコミュを見ていきましょう
◆「食べちゃうから、全部」
冒頭は千雪が「アプリコット」で昔見た「映画のため息特集」の一節から始まります
時間はオーディションの後、甘奈が千雪と一緒に「ありがとう会」を行うこととなります。この一説は「薄桃色にこんがらがって」の「エンドロールは流れない」を引き継いだことを示しています。
二人でカフェへと入ったあと千雪と甘奈はそれぞれケーキを頼みます。甘奈はシトラスとベリーのふんわりパンケーキ、そして千雪はブルーベリータルトを選びます。そこから千雪は先ほどの「ため息特集」にあったブルーベリータルトが出てきた映画の話をします。
さて、実はこのブルーベリータルトの映画は元ネタと思われるものが存在します。
2007年に公開されたウォン・カーアイ監督の「マイ・ブルーベリー・ナイツ」という映画です。
ノラ・ジョーンズ演じる主人公のエリザベスはある日恋人の心変わりで突然の別れを切り出されます。諦めきれないエリザベスは恋人の家の向かいにあるカフェに入り浸るようになります。毎晩ブルーベリーパイを用意して彼女を出迎えてくれるカフェの主人ジェレミー(ジュード・ロウ)に惹かれつつも、どうしても終わった恋を引きずってしまっていた彼女は旅に出ることを決意します。
千雪の言っていたシーンは冒頭のシーン。恋人を待つエリザベスをカフェに入れて店仕舞いの仕事をしていたジェレミーは、エリザベスに「彼と会ってどうするのか」と聞き、彼女は「別れの理由を知りたい。すべてには理由があるから」と言います。
ジェレミーはそんな彼女をこう諭します。
「パイやケーキと同じ。
毎晩閉める時――
チーズケーキとアップルパイは売り切れ
ピーチ・コブラ―とチョコレート・ムースもほぼ完売
でも ブルーベリーパイだけは手つかずで残ってしまう」「何がいけないの? 」
「理由なんて何もパイのせいじゃなく注文がない
選ばれないだけ」
――「マイ・ブルーベリー・ナイツ」より
そうして捨てられそうになるブルーベリーパイをエリザベスは引き留めて、ひときれブルーベリーパイを注文するのです。彼女自身とブルーベリーパイを重ねるように。
この映画のシーンからもわかる通り、ここでのブルーベリータルトは「選ばれなかったもの」、つまり今の千雪の暗喩です。ブルーベリータルト自身は何も悪くはないのです。ただオーディションという「注文」に選ばれなかっただけなのです。
だからこそ、千雪はそのすべてを食べます。選ばれなかったことへの悔しさもその事実も食べて自分で呑み込んで先に進まないといけません。
何故ならば、彼女たちの人生は続いていかなければならないからです。
◆「卒業」
このコミュで重要なのは「千雪の部屋」です。
甜花の言う通り、アイドルになる前、一人暮らしの頃から住んでいたこの部屋はいわば千雪の青春の縮図です。何もない部屋からだんだんとモノが増えていき、寂しい時もうれしい時も歩んできた部屋でした。
では、この部屋にはいつから「アプリコット」はあったのでしょうか。
おそらくこの部屋には最初から「アプリコット」があったのではないでしょうか。
まだベットしかないような部屋の真ん中で千雪は「アプリコット」を読み返しながら、この部屋を少しずつ「アプリコット」に描かれるような世界へと近づけていったのです。そして、寂しい時やひとりで考えなければならない時もそのそばには「アプリコット」がありました。
だからこそ、その中心にあった「人生の原点」から彼女が「卒業」しようした時の空白が効いてきます。
オーディションを受けた時、千雪は「大人じゃなくていい」とはづきに背中を押されてました。しかし、桑山千雪はここで「大人にならなくちゃ」と言います。
前回の記事でも書きましたが、千雪にとっての憧れであった「アプリコット」は一度休刊をして、再び復刊をしました。しかし、文化は変わっていき、千雪が愛した「アプリコット」とは違った、甘奈たちの世代の「アプリコット」文化に生まれ変わりました。
「アプリコット」が変わったのであれば、自分も変わらなければならない。千雪にとって、それは自分の愛したものに変化があったからこその「卒業」だったのでしょう。
しかし、本当に千雪が愛したものは変化したのでしょうか?
◆「ひっくり返して生きていく」
前回の記事でも指摘した通り、千雪の弱点は「我慢して声に出さないこと」でした。
このコミュでは千雪はずっと声を出しています。
発表会場でも、河川敷でも、トレーニングルームでも彼女たちは声を出していきます。
これは一つ桑山千雪の確かな成長として描かれています。
そして、もうひとつ彼女が得たものがあります。「アプリコット」で表紙になっていたレッドカーペットの上を歩いていく仕事です。
桑山千雪が愛した「アプリコット」とは何だったのでしょう?
それは「アプリコット」が表現していた文化や世界でした。彼女が憧れて読み取って心の中に出来たその文化や世界こそが、彼女の愛したものでした。
この仕事により彼女はその世界の中に入ることが出来たのです。それは彼女がオーディションを受けて、そして自分が好きなものを声を出して伝えたからこそ選ばれた場所なのです。
「薄桃色にこんがらがって」で最も重要なモチーフだったのは「反対ごっこ」でした。人の感情や物事の事象は明確に切り離せないことを「反対ごっこ」で私たちは知っています。それは表と裏のように一体になったものなのです。
もし悪いことがあっても、ため息をつくような瞬間があっても人生は映画のようにエンドロールは流れません。だからこそ一瞬一瞬ではなくその不幸すらも「ひっくり返して」生きていくことが何より肝要なのです。
桑山千雪は選ばれなかったブルーベリータルトであったかもしれません。
けれども、彼女がブルーベリータルトであったからこそ、つかみ取れたものがあったのです。それは彼女の中に愛した「アプリコット」の世界があったからなのです。
だからこそ、桑山千雪はこれからも自分の愛するままに生きていくのです。
◆おわりに
というわけで「薄桃色にこんがらがって」と「ドゥワッチャラブ!」の感想記事でした。ここまで長い記事を読んでいただきありがとうございました。
それにしても、シャニマスで2年目なんですよね……なんなんでしょうね……このコミュの情報量……
それではまた、次の記事でお会いしましょう。
ではでは~