彼女たちの「一番大事」じゃなかったもの~シャニマス「薄桃色にこんがらがって」感想
皆さんこんばんわ。
水嶋咲のトレンチことkatariyaです。
さて今回はアイドルマスターシャイニーカラーズで行われておりましたイベント「薄桃色にこんがらがって」の感想記事となります。
コミュが大変やばい内容となっていたので、感想文を書き散らしていきます
※注意
今回の主旨の関係上、コミュやカードの内容に踏み込んだものとなります。
そのためネタバレとなる内容も含みますため、問題ない方は以下をご覧ください。
◆はじめに
この記事の読者の方々はすでにご存じの方も多いかと思いますが、アルストロメリアに限らず、アイドルマスターシャイニーカラーズ(以下「シャニマス」)のイベントやカードのタイトルにはリアルな楽曲や映画、小説などのタイトルをモチーフにしたものが多くあります。
例えば昨年のハロウィンイベントの「ミルキーウェイ61」というイベント名です
こちらはボブ・ディランのアルバムのタイトルにもなっている1965年に発売された「追憶のハイウェイ61」(原題は「Highway 61 Revisited」)からとったと推測されています
このイベントの各コミュタイトルもボブ・ディランの楽曲を意識したものがあります
例えば「ジャストライクキョンシーブルース」は「Just Like Tom Thumb's Blues」
「ローリングストーンのように」はそのままずばり「Like a Rolling Stone」という楽曲が上記のアルバムに収録されています。
これらは一例であり他にもシャニマスのコミュやイベント・カードタイトルにはモチーフが存在しており、時にはそれらがコミュの内容と有機的に結びついてシナリオのテーマを暗示することがあります。
さて、本題の今回の「薄桃色にこんがらがって」というタイトルについてです。
こちらは当初からボブ・ディランの「ブルーにこんがらがって」(原題は「Tangled up in Blue」)という楽曲からとっていると思われます。
歌詞の解説はこちらから
www.tapthepop.net
この「ブルーにこんがらがって」という楽曲の歌詞は時系列をとびとびにしながら、断片的でまさに「こんがらがった」構造をしています。様々な時空を飛びながら「彼女」との出会いと別れ、そして再起を描いています。
この歌の構造は特に今回のイベントの構造を暗示しています。すなわち、アルストロメリア3人とプロデューサーの視点と空間を飛びながらこの物語は紡がれていきます。それぞれの立場にいるからこそ踏み出せない。それぞれの思いがあるからこそ言えないことが今回のコミュの主題となります
そして、「なぜこの楽曲をタイトルにしたのか」というものを考えるうえで、一つ重要だと思うのは、この最後の一節です。
We always did feel the same
We just saw it from a different point of view
Tangled up in blue
僕たちはいつも同じものを感じていた
ただ僕たちは違った立ち位置からそれを見ていたんだ
ブルーにこんがらがってー「Tangled Up In Blue」より
つまるところ今回の物語は「皆が同じものを感じていて」けれど「それぞれの立ち位置にいた」からこそ「こんがらがった」話なのです。
◆「アプリコット」とは何だったのか
さて、今回の物語の主題は「復刊する雑誌『アプリコット』の第一号のカバーガールオーディション」です。
この「アプリコット」という雑誌には元ネタと思われる雑誌が存在します。
それが「Olive」という雑誌です
「Olive」は1982年から2003年まで刊行されていた女性雑誌です。
リセエンヌ(フランスの女学生のこと)的なファッションを中心に絵本や映画、インテリアや音楽などで「ガーリー」と呼ばれる都会的な少女文化を提示するサブカルチャー雑誌でした。
「オリーブ少女」と呼ばれる愛読者を生み、一つの流行を生み出した雑誌だったのですが、1990年代後半から出始めた「対極の文化」の流行によって、中心読者がそちらの雑誌に移行し発行部数が減少。2000年で休刊となり月刊誌となりましたが2003年には再び休刊となりました。
その「文化」というものがいわゆる「ギャル文化」だと言われています。
今回のシナリオで「アプリコット」は一時休刊していたものを再度復刊して新しいスタイルを提示するために「大崎甘奈」という存在を抜擢します。
大崎甘奈は最近の女子高生であり、「ギャル文化」を背景にした年代です。他方、桑山千雪は昔の「アプリコット」読者であり、いわゆる「ガーリー」な文化に憧れて雑貨屋を始めるほど人生の糧としてきました。
今回の甘奈と千雪のオーディションというのは、この「アプリコット」の文化的変遷の対比でもあるのです。
そして、この点はこの物語の「憧れと現実」「過去と現在」「子供と大人」「個人とグループ」といった二項対立の「こんがらがった状態」を呼びます。
では、その「こんがらがった状態」をどのように解いていったのでしょうか。
◆「大人じゃない」ということ
桑山千雪は前回のイベント「クエストロメリア」にて、夜の学校でみんなで遊ぶ時自分のことを「大人じゃない」と言っています。それは知識を持っていても、気配りができてもどこかで「やりたいこと」に対して無邪気に楽しむことが出来るところがあります
今回の「薄桃色にこんがらがって」でも、はづきとの会話でも「大人じゃない」という台詞があります。
千雪は今回自分を形作っていた「アプリコット」を甘奈に取られたように感じ、甘奈に対して嫉妬を感じて、そのもやもやと向きあうためにオーディションに参加します。ただ、それが甘奈を傷つけるかもしれない。それに対して千雪は自分のことを「大人じゃない」と言います。
しかし、そこではづきは「私たちは大人じゃないんだってば~」と言うわけです。
「大人じゃない」というのは、つまり「自分のやりたいことを優先すること」です。それはすなわち「何より諦められないものを持つ」ことです。千雪にとってそれは「アプリコット」であり、自分を形作ったものなのです。はづきはここで千雪に対してそれを自覚させ、「大人じゃなくていい。諦めなくていいんだ」というわけです。
さらにここで言う「私たち」は、プロデューサーにも向けられています。プロデューサーは本来であればそのまま甘奈のグランプリを受け取るのが「大人」でした。しかしそれをしないプロデューサーに向けても「大人じゃなくていい」とはづきは言います。
この場面はづきが皆の背中をそっと押してくれたシーンなのです
(個人的にチェイサーをそのあと頼むところがとても最高で、この会話って大人と呼ばれる人たちが酔った時にだけ見せる「諦められない本音の空間」なんです。だからこそ、それを終わらせて、現実と向き合い前に進むために、酔いを醒ますチェイサーを頼むことで、この空間の終わりを意識させるのがうまいなあと思います)
そして、この「大人じゃない」ことが「こんがらがった状況」解くカギとなります。
すなわち、その解くカギは「一番大事なこと」を意識しそれを「声に出す」ということです。
◆「反対ごっこ」が見せた景色
そして、今回の重要なモチーフとして「反対ごっこ」があります
シナリオにおいてたびたび出てくるこの「反対ごっこ」は本当のことと反対のことを言うごっこ遊びです。しかし、その本質は別のところにあります。
千雪は一番最初のイベント「満開、アルストロメリア流幸福論」でプロデューサーからこんな言葉を言われます
千雪が甘奈と甜花の行きたい場所を優先して、自分の考えを二人に言わずに二人のために千雪は立ちまわっていました。しかし、そのことを二人に伝えられていないというある種の弱点が出ていました。
千雪自身例えばWINGのコミュで体調がつらいことを我慢して言わずにいたり、自分の迷いを口に出さず閉じ込めたりする「伝えないところ」がありました。
だからこそ、この「反対ごっこ」は千雪にとってはその「想いを伝える」ためのものでした。
今回のイベントコミュでは各々が悩む時、繰り返し薄桃色の靄を背景として登場させていました。この色は今回のタイトルの通り「こんがらがった状態」を表していました。
しかし、河原に3人が揃い互いに言えないことを反対ごっこで声に出そうとした時背景は青へと変わります
薄桃色にこんがらがった感情はこの時ブルーとなって一つの形をとります
千雪はこの反対ごっこで自分の薄桃色の感情を甘奈に伝えていきます
「オーディション落ちたらいいのに!」
「負けたい!」
これらはすべて反対ごっこです。
でも本当にすべての感情は反対なのでしょうか?
薄桃色の感情はすべてこんがらがった表と裏もわからない感情です。
「アプリコット」に受かりたかったのも本当です。
オーディションに勝ちたかったのも本当です。
だから千雪は一番最初に言葉にしたのです。それが年上としての「大人」としての矜持であり、なにより自分の想いをアルストロメリアの一人として伝えるために一番最初に言葉にしたのです。
他方、甘奈も一番最初のイベントでこんな会話を千雪としています。
甘奈の弱さとは「未来への不安」でした。それは感謝祭のコミュでも表れており、「未来への変化」に対して「恐れ」を持っていました。
故にオーディションを辞退するという選択をしています。
それはもちろん千雪のことを思ってでしょう。しかし、それと同時に「変化しない」ということを選んだ側面もあるのではないでしょうか。勝負がついてしまえば勝ったとしても、負けたとしても自分たちの未来に向き合わなければならないのです。
そして、それと同時にアルストロメリアという形にもその結果は変化を与えてしまうのは間違いないのです
だから、甘奈は反対ごっこで以下のセリフを言います
「…………ち、千雪さん……
オーディション……落ちればいいのにーー…………! 」
「負けたーーーい…………! 」
―薄桃色にこんがらがって 第6話「薄桃色にこんがらがって」より
さて、これらのセリフは「反対」でしょうか?
甘奈はここで自分の中の「本当の気持ち」と向き合うのです。千雪さんのでもみんなのでもなく自分の感情の中の「本音」と。甘奈は「反対ごっこ」の最中でも最後まで「アルストロメリアは大嫌い」とも「一番大事じゃない」とも言えなかったのです。それは甘奈にとって「大好き」で「一番大事」だからです。
だからこそ千雪は甘奈の声を「聞いて」背中を押すように言うのです。「アルストロメリア」は大事だけれども、「一番大事」なのは「自分の選択」なのだと。
それは千雪にとってはアルストロメリアとして最初から持っていた願いだからです。
それと同時にどんなぶつかることがあっても、そこにある「アルストロメリアが好きという一番大事なこと」は「変わらない」と反対ごっこで甘奈に伝えたのです。
つまり、このセリフは甘奈に伝えたい思いと千雪の意志が互い違いにこんがらがったどこまでも優しい言葉なのです。
だからこそ、甘奈は負けることの恐怖と、「アプリコット」の表紙を取るという意志に向き合い、桑山千雪というアイドルと戦うことを選べたのです。
そして、その選択こそがアルストロメリアにとっての「一番大事」なことだったのです
◆「アイドル」とは「意志」である
「トップアイドル」は「アイドル」自身の「意志」が結実した場所です。だからこそ、アイドルはそこ目指す以上何があったとしても己の意志にだけは嘘はつけないのです。
故に、その「意志」同士がぶつかる場所は存在します。そしてどちらかだけしか選ばれない場所も、また存在します。
だからこそ、「選ばれたもの」は「選ばれなかったもの」の想いを受け継ぎます
それと同時に「選ばれたもの」は今までのすべてがあったからこそ、隣にいた仲間がいたからこそ、その位置に立てるのです。
三人だったからこそ取れるものがあるということは、最初からアルストロメリア自身が知っていました。
それと同時に、この最初のイベで気づかなかったことに彼女たちは気づいたのです。アルストロメリアにとって「一番大事」なことは幸福な時だけでなく、辛い時も一緒に進めることだということを。
「選ばれたもの」は多くのものを手にしました。では、「選ばれなかったもの」には何が残るのでしょう。
その意志を果たせなかった時にアイドルの物語はそこで終わってしまうのでしょうか?
◆大崎甜花は見つめていた
このイベントは千雪と甘奈のオーディションが中心の物語でした。
では、大崎甜花はどうだったのでしょう?
大崎甜花はすべての人々の心情を見つめる立ち位置にいました。
甘奈のおびえも、プロデューサーの葛藤も、そして、千雪自身の悔しさも。
故に、大崎甜花の「一番大事なこと」は「みんなが自分らしく納得がいくオーディションをすること」でした。
甜花自身は自分で何かをすることに、自分というものに対しての自信がありませんでした。しかし、大崎甜花という存在をアイドル活動を通して見てくれる人が増えたことで自信を付けていきました
だからこそ、大崎甜花自身がそうなれたように、大崎甜花の一番大事なアルストロメリアがそれぞれが納得した状態で勝負が出来るように彼女は動いたのです。
「エンドロールは流れない」で大崎甜花は「選ばれなかったもの」のこんがらがった想いを、ブルーの世界から遠ざかり、サイリウムの薄桃色の世界で受け止めます。
大崎甜花がいたからこそ、千雪のこの想いは閉じることなく受け止められたのです
◆おわりに
というわけで、「薄桃色にこんがらがって」の感想ブログでした。
しかし、このコミュはここで終わりではありません。
次の記事では、桑山千雪のイベントカードであり、このイベントの続きとなります「【ドゥワッチャラブ】桑山千雪」の感想となります。
(……書いていたらめっちゃ長くなったから前後編にしました。)
ではでは~。